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最高裁判所第三小法廷 昭和38年(し)18号 決定 1963年6月25日

少年M(昭二一・九・二三生)

主文

本件再抗告を棄却する。

理由

本件再抗告の趣意は別紙書面記載のとおりである。

所論は、要するに事実審裁判所の専権の属する事実認定ならびに少年保護処分(保護観察所の保護観察に付したこと)の過重であることを非難するに帰着し、少年法三五条所定の再抗告理由に当らないから、本件再抗告は不適法たるを免れない。

よつて少年審判規則五三条一項、五四条、五〇条により裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 五鬼上堅磐 裁判官 河村又介 裁判官 垂水克己 裁判官 石坂修一 裁判官 横田正俊)

少年M法定代理人菅○○子の再抗告申立理由

四月十四日付の書類につき申し上げます。

Mの件に付き先般家裁に提出した控訴状が棄去されたと云うことは母親として誠に残念の外はありません。

本人の資質、性行、生活環境を御考察の上で補導援護を受けさせなければ健全なる社会生活に適応出来ないと云うことに付一応うなずける点がないでもございません。しかし、私としましては、もう一度保護者の立場を御理解下さるものと信じておりました。

現在の私は日雇人夫として女手一つに四人の子供を養つております、昨年六月の件さえなければおそらく私が法律に非難をうけるようなことはなかつたと思います。

私の切々たる気持ちを再審して戴けるものと甘く見ていたように思はれます。

一度でも母親の私の気持ちを聞いて戴けたらと、保護者の私には一言の発言もゆるされなかつたことは終生心に残るものとおもいます。法律はどこまでも私の現職にこだわるとは不思議でなりません。

過去十一年間の日雇生活の中で日雇の子だからと云う様な問題はなかつたようにおもいます。

先日家裁へ弟同伴でまゐりました時云われた、日雇人夫で一日中留守でとても子供の教育までには手がとどかないであらうから保護師をつけた……。

誠に最上の言葉かもわかりません。

それは保護者の私から願うことであつて法律が強制するものではないようにおもわれます。

もしあなた方の子供さんの場合、速に法に復すだろうか……私はそれが知りたい。皆様も、私も、人間として、親としての考え、気持ちは同じだろうとおもいます。法律から強制的に保護師をつけて下さらなくとも、考え余ることがあれば安心して相談の出来る法律に頼るのは私たち国民の望むところではないでしようか、法の善意を感謝しております。しかし、子供の教育についてはあくまで母親の私の気持ちも尊重して戴きたいと存じます。

もし、明日にでも、私が昔の教師にかえるなら法律はどのような処置をとるでしようか……

私は日雇人夫を止めて子供の教育に努力するつもりでおりました。

現実はそう簡単にはまいりません。

私が日雇人夫を止めるより、あくまでも日雇人夫の子供でも大手を振つて世間へ出す方法を考えるべきだと思います。

この問題以上のことが毎日の紙上に書かれております。その少年たちはどう裁かれるか、私は自分の子供と比較して今後を進むつもりです。

親の私がこの様な気持でいることもこの様な書面を書いていることも法律が認めなかつた親の価値も子供には分つているだろうか。子供程罪のない無心なものはございません。

紙面の上でのみ決定した保護観察と云う問題には納得致しかねます。

(窃盗)夢想だにしなかつたこの二字が幼い子供の心を蝕みつつあります。

私は気が狂うような気持ちです。私の弟妹肉親たちの中にも皆様が御存知の人物もおります。けれど、私のいたらなかつた責任は私が負うべきだと堅い決意をしております。

先日野球部の先生が(かえりみて私はいたらぬ教師であつたとおもう、申しわけない)と云われました。動機に乗るは本人が馬鹿だからと申されたが、日雇人夫の子供でも動機がなければ過失はなかつた筈です。機に乗じた者が悪いのか、機を、工作した者が悪いのか私は知らないけれど法律はよく御存知の筈だとおもいます。

現在の子供の日常を御覧下さい。法律に無視された母親が泣きつつこの書面を綴つていることを……間違つた大人の犠牲になる子供が世の中には多くさんいます。私もこの様な子供を見つつ教育した時代もございました。

今回の件につきましても本人の気持は親だけにしか分りません。

昨年の問題の内容がどうあろうとも皆様に御迷惑をおかけしたことは申しわけないと存じております。

しかし本人もこの様なことは再度くりかえさぬつもりでおりますし私も生涯をかけて正道に導くつもりでおります故何とぞ御理解ある御処置を願い上げます。

(昭和三八年四月二五日付)

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